2007年12月30日(日曜日)

2007年の終わりに

 今年も年末がやってきた。何もない一年など存在しないという前提はさておき、今年はやはり色々なことがあり、色々なことを思う一年だった。明日大晦日は実家に戻っているので、今日のうちに簡単にでも2007年という一年を総括してみようと思う。

 思えば、実に個人的な一年だった。新しい会社に分社化されてそちらに移り、新しい職務が始まり、祖父が亡くなり、娘が生まれ、仕事上の個人的な閉塞感を抱え、ちょっとしたトラブルがあり、様々な個人的な変化と、整理しきれない社会的立場上のあれこれを抱えたまま、この2007年は終わる。娘のことは例外として、個人的に降りかかってきた出来事の大きさの割には意外と考えることが少ないのは何故だろう。それは結局、考えることを放棄することによって結論を先延ばしにしているせいからなのかもしれない。色々な意味で不完全燃焼な一年だった。仕方ないと言えば諦めに聞こえるが、まぁそんな年もある。自分が歩んできた一年の結果として年末に思い返した際に突きつけられる事実は、それが事実である以上受け入れるしかない。否定はただ現実逃避を助長するだけだ。

 やはり一番大きな変化は娘の存在だ。妻と二人だけであれば、多少の無茶をしても取り返しが効いた。自分たちの人生は結局自分達が責任を取ればいいからだ。けれど、娘がいる今はそうはいかない。娘が今の私と同じ台詞を「自分たちの人生は結局自分達が責任を取ればいい」と言えるようになるまで、様々な面で道筋を立ててやるのが親の責任だからだ。また、「自分たちの人生は結局自分達が責任を取ればいい」と言える程度まで、幸せに育ってほしいと願うからだ。今だからわかるが、この台詞が言えるということは実はとても幸せなことだ。そのことに関しては、私はいくら感謝しても尽きることはないと思っている。とにかく、娘のことを考えた際に、自分の人生はどのような選択を行うべきか。そのような視点が自然と入るようになってきた。嬉しいことではあるが、正直、ほんの少しばかり寂しいことでもある。入社一年目の頃、家が近い隣のグループの長と飲んでいる時に、その人が言っていた台詞を思い出す。

 子供ができてから、どうしても子供を一番に考えて仕事でも何でもするようになったよね。それでまぁ人生つまらなくなったと言えばつまらなくなったけど、それを差し引いてもやっぱりかわいいからね。

 その当時はそんなものかと思っていたが、今はその頃よりは理解できる。子供というのはそういうものだと、素直に納得できる。実際に生まれてみるまでは自分が子供に対してどのように感じるかなんて、まったくわからなかったものだけれど。

 今は友人の結婚式でギターを弾いたときのお礼にともらったモルトを飲んでいる。山崎のOwner's Cask、1993年。長野屋という店の名前がラベルに入っている。入っているシリアルナンバーは167。私の結婚記念日のナンバーをと、わざわざ苦労して探してくれたそうだ。その時に弾いたのはJ.S.バッハ、D.ラッセル編の『目覚めよと呼ぶ声が聞こえ』。娘が生まれた二日後の土曜日にその結婚式があって、そこでギターを弾くために娘に会いに行くのを一日遅らせた。入場の際に曲を弾いた後で、二日前に子供が生まれたばかりだと司会の方から紹介されて、何だか妙に照れた。とても大切な友人の結婚式だったのだが、それ以上に色々な意味で記憶に残る一日となった。この一年を締めくくるのに、その時にもらったこのモルト以上の一杯があるだろうか。

 バランスが取れた優等生のイメージが強い山崎だが、このモルトはそのドライで潮っぽくスパイシーな香りからしてその固定観念を壊してかかる。その荒々しさの中に山崎らしい麦と樽の甘みと温かい太さを持ち、それでも表面にはピリピリと刺激的な個性を強調しながら長く鮮烈な余韻を残す。どちらかというとおとなしいイメージが強い山崎だが、このモルトは暴れん坊だ。しかし深い甘みと味わいがある。恐らく、もっと後から思い返した際にはこの2007年はそのような年として思い出されることだろう。今は口に含んだばかりのやや強い刺激ばかりが舌先についているけれど。

 明日の更新もあるかもしれないですが、それでは皆さん、今年も一年どうもありがとうございました。来年も、どうぞよろしくお願いいたします。

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