2005年02月13日(日曜日)

時を超えるシンギング・バード

 嵯峨嵐山のオルゴール博物館では、100年以上も前の職人の手によって作られた実に精巧かつ美しいオルゴールの数々を見ることができます。学生時代から好きで何回も通っているのですが、行く度に感動したり何かを思ったりして帰ってくる、京都の中でもかなりお薦めのスポットです。職人の技や心意気というものの凄さがわかります。オルゴールの板面に施された象嵌細工1つとって見ても、その道の職人さんがオルゴール博物館を訪れた際に箱の前で腕を組んで、「これは今の職人では作れないなぁ」と呟くほど精巧にできているのです。そしてオルゴール自体も、シャーペンの新より細い軸をわずか数ミリの歯櫛の間に全て手で差し込んで、それをほんの1ミリ足らず動かすだけで曲の切り替えができるような、そんな仕組みをそれこそ年単位の時間をかけて作り上げるわけです。そこまで細かい作業は現在の工業技術やコンピュータ技術を駆使しても再現不可能で、職人の手でしか作り得ないものなのだそうです。オルゴール博物館の館長さんはこう仰っていました。

「この100年で技術も格段に進歩してコンピュータで何でもできるようになってきて、現代人はそれを使って何でもできるような気になっていますけれど、実はこの100年で失われてしまったものというのもたくさんあるんです」、と。

 オルゴール技術の延長線上である自動人形オートマタの一種にシンギング・バードというものがあります。本物の鳥の剥製を使って作る、本物の鳥の鳴き声を再現したオルゴールです。茂みの中をさえずりながら飛び回る姿は本物のそれと比べても遜色ないほどよくできていて、その観察眼と技術力には敬服するばかりです。オルゴール博物館に展示されているシンギング・バードは制作後100年以上を経過しているにも関わらず、非常に美しく剥製自体の色が残っていて、それがさらにその作品の自然さ、完成度を高めているわけですが、館長さん曰くそれも決して偶然ではないのだとか。このシンギング・バードを作るとある職人さんは、剥製になってから50年以上経過したものしか作品に使わなかったそうなのです。何でも50年経っても色落ちしない剥製は、その後も色落ちしないんだとか。

「それはもう100年を経過したこの作品が自ずから証明してくれています。それだけ長い目で見て作品を作っていたんですね」

 今の世の中、それほど長い目で何かを作っている人、それほど長い目で何かを考えている人なんてどれほどいるのでしょう。今後の100年のために、まず50年を試す。回転の早い現代資本主義社会のペースに慣れてしまって、その中に浸かってしまっているせいか、とても気が遠くなるような話に思えました。そう、気が遠くなります。本当に何かを作り、残していくためには、そこまで考えないといけない。そこまでしないといけない。時の流れを試せるのは、結局時の流れでしかないのです。当たり前と言えば当たり前。けれど、それは今の社会にあっては思い出さなければ気付かない、忘れ去られてしまった感覚ではないでしょうか。今も美しくさえずり続ける、シンギング・バードが教えてくれることは多いように思います。

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