2004年04月18日(日曜日)

書くために

 最近、なかなかこの日記や、ひいてはこのページに書くべきアイディアがまとまらずに苦労する。アイディアがないわけではなく、小さな元ネタを広げようとしてキーボードに向かうと、そのアイディアが表に出ることから逃げ出すようにサッと霧散雲散消えてしまうのだ。

 たとえば、通勤の電車ではいつも大抵何かしらの本を読んでいる。一冊読んでいるとそれがどんなジャンルの本であれ、一カ所くらいは何か思うところがある場所があり、そこについて書きたくなる部分があるものだ。そして実際、その場で簡単な草稿を頭の中で作り上げたりもする。ところが、そこまでしておいていざ帰宅してPowerBookを立ち上げると、ふっと書こうと思っていたものがわからなくなってしまう。もしかしたらそれは書きたいものがわからなくなるのではなく、頭の中でかなり具体的に練り上げたつもりの草稿が、実は本当に文章にするには曖昧にすぎるもので、だからいざ書こうと思った段階で筆が止まるということなのかもしれない。けれどとにかく、日記に何か書こうと思っても小説やエッセイを書こうと思っても、万事がその調子で形にならない。創作意欲がないわけではないだけに、その空回りが自分で悔しい。

 どうしたものかと考えた末、いつも本と一緒に付箋とペンを持ち歩くことにした。そもそも本を読んでいて「後でここについて書こう」と思った場合、その「後で書く」時が訪れた際にはそれがどこだったか、ひどい場合にはどの本だったか忘れてしまっている場合が多い。そして活字の本を一冊目を通して、お目当ての箇所を拾いだすというのはなかなか骨の折れる作業だ。だから、すぐに「後で書こう」と思った場所を引けるように付箋を貼っておこうというのだ。カバンの中とかにあって取り出すのが面倒では元も子もないから、常にポケットに入れて持ち歩く。ペンがあれば気が向けばついでに一言二言メモを一緒に残しておくこともできる。とりあえずはそれで、何が書きたかったのかを忘れているだけなのか、あるいは頭の中でまとまったと思っていたものが実はまとまっていなかったのかの切り分けにはなる。前者ならこれで場所がすぐ思い出せるようになれば、後はスラスラと書けるだろう。後者ならこっちの頭の問題だ。すぐに解決とはいかないだろうが、それならそれでやりようはある。

 とにかく、何か書いていくことが大事なのだ、今は。文章にしろ音楽にしろ、一度手を止めてしまったものはその後、手を止めた時点での立ち位置まで帰ってくるのは難しい。社会人として仕事を持っているとなおさらだ。だから、まず手を止めるわけにはいかない。そこから先に進むかどうかは、まだ考える時間はあるとしても、一度止めた手をまた動かして、止めた時点と同じ位置まで戻ってくるために使うだけの時間は多分もうないのだから。

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