2000年12月13日(水曜日)

潔癖症の掃除夫という命題について

 掃除夫が一人、駅の便所の床を掃除している。よくあるようなあおみどり色の制服と制帽に身を包み、灰色と白の髪が入り交じった中背で痩せた老人だ。私が見ているだけでもう30分、延々同じ所をひたすら磨き続けている。私は何かそこに特にしつこい汚れやシミか何かがあるのかと思って覗き込んでみるが、そこには何もない。やはり黒ずんだ石灰色のタイルが普通に並んでいるだけだ。私はその老人に訊ねる。「何故そこだけそんなに丁寧に磨くのですか?」と。老人は答える。「まだ汚れが落ちないからだ」と。その答えを聞き、私はもう一回老人が執拗に磨いている部分を覗き込んでみるが、やはりそこには特に汚れと思われるものはなく、むしろ他より表面が磨かれて灯を反射し輝いてすらいるタイルがあるのみだった。「もう充分綺麗になってると思いますがね」と私が言うと、その老人は「いや、まだまだだ。まだこんなに汚れている」と答える。そして私はまた聞き返す。

「いや、もう汚れと思えるものは何もないじゃないですか。どこがそんなに汚れているんです?」
「何もないように見えるか?ほら、こことこことここにこんなに汚れが残っている。こいつらがしつこい」
「でもそんなの誰も気にしませんよ。それに仮にそこを綺麗にしたとして、またすぐに誰かに踏まれて汚れますよ」
「そんなことを言っていたら掃除すること自体意味がなくなる。そして気付いた時には手のつけられないくらい汚れてしまっているんだ」
「まぁそうかもしれませんがね。でもそんなあなたにしかわからないような汚れなんて・・・」
「だから見えないのか、この汚れが?」

 永劫の螺旋を思わせる問答。結論は出ないだろう。老人はいつまで同じ床を磨き続けるのだろうか。彼にしか見えない汚れを。そして彼の行為が正しいか、あるいは妥当性のあるものなのかどうかはわからない。私にも、誰にも。このようなことは割に世の中よくあることで、いちいち結論を出すまでのものではないかもしれないが。あるいは結論は出されるかもしれない。ただしその場合は時代という名の権力者が、別の名を語って判決を下すであろう。潔癖症の掃除夫という、実にシュールな命題に。

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