2000年10月07日(土曜日)

成長ということ、大人になるということ

 人は自分でも気付かない内にいわゆる"成長"をしているものです。それは特にものの見方や価値観といった面で。昔自分が当たり前にとっていた行動や思想(まぁ思想なんて高尚なもんじゃなくても)が、今思うととてもガキくさいことだったりする。中学時代、典型的な反抗期を迎えた私は文字通り理由なき犯行、じゃなく反抗にあけくれ、「大人になんてなりたくない。あんなやつらは信用できない」などと尾崎豊の歌詞を地でいったような妙な正義感(?)というか信念で動いていました。高校時代、理由なき反抗は落ち着いたものの(卓球部顧問某H田が相手の場合を除く)、今思えば今度はまぁ俗に言う青春ですか、そんな感じのある意味さわやかで夢があるかもしれないがやはり現実を見据えてはいないような人間でした。今はその頃と比べると、よく言えば現実的になり、悪く言えば世間に染まってきた気がします(世間に染まったといっても世俗的になったということではなく)。何でしたっけ?あの「知に物言えば角がたち、情に棹させば流される」でしたっけ?そんな言葉の意味も本当に理解できてきたような気もしますし、いわゆる常識やらマナーやら世間体やら、高校時代まではそんなに気にもならなかったことも気になるようになりました。そしてものの見方というものが変わってきたように思います。

 それは一概にいいと言えることなのでしょうか?大人になるということはそういうことなのだろうとは思います。しかしその分捨ててきたもの、いや、自分で意識して捨てたわけではないから落としてきたものですかね、は多いような気がします。何よりも自分の気持ちを素直に表に出せることが少なくなったし、周囲への配慮というものが時に互いに牽制しあうような気がすることもあります。周囲に気をつかう、相手に不快を与えない、そんな常識が時に足枷になります。自分の心に対しての重しになります。しかしその重みに耐えられないで大人の「世間」から弾き出されるのが恐いから、結局それに耐えてしまい歪みが生まれていく。成長ってなんでしょう?大人になることの定義とは何でしょう?それは「自分を殺す」ことを覚えることなのでしょうか?ただ単に世間を円満に運営していく知恵を身に付けるというだけのことなのでしょうか?その知恵を身に付けるために失わなければならないものはないのでしょうか?

 私に言わせればいわゆる「大人」の世界なんてどうよくごまかしたところで所詮はかけひきの世界です。人間関係の間で生まれるかけひきです。そのかけひきを気にしないで付き合えるのが「大人の世界」との間にある「仲間内」でしょう。中学の頃は周囲は皆敵である「大人の世界」でした。高校時代は世間も含めて「仲間内」でした。今はその2つの区別がはっきりしてきています。それが成長なのでしょうか?私にはわかりません。中学時代よく聴いていたJUN SKY WALKER(S)の歌詞にこんな一節があります。

大人になる前に知るべきことがある
自分のやり方とわがままの違いを

JUN SKY WALKER(S)『My Generation』

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