1999年12月30日

何もない未来へ - 第二章

 ・・・引き続き、昨日夕方から日本各地で大量に疾患者が発生している謎の感染症についてのニュースをお伝えしていきます。昨日4時頃最初の感染者が東京霞ヶ関と大阪梅田で発見されたこの奇病は信じられないようなスピードで全国各地に広まっており、全国での感染者は既に25万人を越えたものと予測されます。この感染症は現在病原体としてウィルスが疑われておりますが、未だ病原体ははっきりとはわかっておりません。この感染症の最大の特徴として、非常に強い空気感染力を持ち、咳や呼吸だけでも周囲に感染する可能性が強いとの見方がされており、現在予防方法も確立されていない状態です。また、潜伏期間が非常に短く、1日から早ければ1時間程で発病してしまうというそれまでの医学の常識をくつがえすような特性を持っています。発病した場合、初期症状としては軽い倦怠感が現れ、その後数十分から数時間と非常に早いペースで病状が進行していきます。まず首筋に黒い痣のような斑点ができ、病状の進行に伴ってその斑点が全身に広がっていきます。これは皮下組織が壊死を始めて毛細血管からの出血が始まっているのが原因で、最終的にはこの壊死が内蔵まで完全に破壊してしまって死に至ります。現在様々な治療法が試されていますが、どれも決定的な効果を得られるものではなく致死率は限りなく100%に近いとのことです。・・・あっ、只今新しい情報が入った模様です。それによりますと、この感染症の病原体はエボラ出血熱を引き起こすウィルスと非常によく似た構造を持ったフィロウィルスであり、現在のところ対処法はやはり発見されていないとのことです。病状や進行の具合にも個人差はあるものの非常に早く、早ければ発病から数時間で死に至り、発病から24時間以上生存できるという可能性は非常に低いだろうとのことです。現在政府はWHOと協力してこの謎のウィルスへの対処法及び発生源について探っており・・・。

 やれやれだな、と俺は思った。実質上日本全国でこんなタチの悪い感染症が同時発生?しかも一晩で感染者が25万人?おまけに対処法なしで致死率ほぼ100%?一体どうやったら現実にそんなことが起こりえるっていうんだ?これじゃ日本全国が総崩壊してもおかしくないじゃないか。一晩で25万人にも広がり、おまけに予防法すら見つからずに強い空気感染力も持つっていうんなら、これからまだまだこの感染症は広がっていくだろう。そうしたら本当に日本崩壊というのもありえなくはない。しかしなんでこんな感染症が急に・・・。そう思った瞬間、俺の頭の中にピンと閃きのようなものが浮かんだ。・・・生物兵器。それならありえなくはない。ニュースでは霞ヶ関と梅田で同時発生したと伝えられていた。日本の要所2ケ所でいきなり同時発生・・・。それも何者かによる生物兵器での攻撃だというのなら納得できる。しかし、一体誰が何のために?・・・だが、そんなことを考えて知ったところで俺には何も関係はない。なにしろ俺はもう感染して発病してしまっているのだ。おそらく今日の夕方頃にはもうこの世を去ってしまっていることだろうと思った。そんな人間がこの感染症の出所を知ったって一体何になるというのだ、とも。そう思って俺はそれについて考えるのを止めた。問題はやはりこれから本格的に病気が進行して死に至るまでの間、俺はそれまで何をしているかということだった。

 まず俺は部屋の洗面所に行ってシャツを脱ぎ、どこまで痣が進行しているのかを確かめてみることにした。見ると、首筋から現れた痣は胸部の上半分当たりまで既に広がっていて、両の上腕部や大腿部にもわずかではあるがその黒ずんだ斑点があるのが見て取れた。もってあと半日といったところだな、と俺は思う。さて、残された時間に果たして俺は何をするべきなのか?それを考え始めた時、俺の足はほぼ自動的にコンピュータのおいてあるパソコンデスクの方へ向かっていた。大学入学と同時に買った、今はもう時代遅れになってしまったMacintosh。俺はそのパワーキーを押し、起動音が鳴るのを確かめながらシャツを着直した。起動画面が切り替わり、ファインダーが現れる。そして俺は自分で運営しているホームページのソースが入っているフォルダを開き、できるだけ毎日更新しようと努めていた日記の項目のファイルを開いた。インターネットは完全に開かれた世界だ。俺のホームページに訪れる人は、やはり俺の仲間であることがほとんどだが、それでも時に全く見ず知らずの人が訪れて足跡を残していったりもする。ここに言葉を載せておけば、いつか誰かが訪れた時に、俺のこの最後の言葉を見るかも知れない。そしてもしかしたらその誰かの中に、たとえ小さなものであっても何かを残せるかも知れない。俺はそんな微かな希望を抱きながらコンピュータのキーを叩き続けた。それはもしかしたら全くの無意味に終わる行為かも知れなかったし、只の自己満足に終わらないという保証をしてくれるものは何もなかった。だが、それでも俺はそこに言葉を残しておきたかった。残り数時間の命の中で、自己満足すらも得る権利が俺にはないと誰が言えるだろう?そんなことを考えていたら、ふと昔に俺のじいちゃんがまだ小さかった俺に向かって言った言葉を思い出した。

「いいか洋。人間っていうのはな、大体のヤツは死ぬ時になるとだま〜って死んでいくもんなんだ。死ぬのが怖いもんらすけな。けどな、偉い人間っていうのは死ぬ時になって、その怖さに負けずに何か一言言い残していけるもんなんだ。だからな、俺が死ぬ時になって、もし俺が何も一言も言わずに死んでいったら"なんだこの臆病者"ってけなしていいぞ。その代わり、何か一言でも言い残していけたら"あぁ、じいちゃんは偉かったんだな"って思え。な?」

 いざ死ぬ時になって、何か一言でも言い残せたら、か。どうだい、じいちゃん、俺は偉いかな?そんなことも思いながら、とにかく俺はキーを叩いた。あと一言、もう一言・・・。書きたい言葉、伝えたい言葉は100年かかっても語り尽くせない程あるように思われていたのに、いざ最期の時になってキーボードとディスプレイに向かっていると、何故か言葉は思うように出てこなかった。どれもこれもいらない言葉のように思われた。俺が本当に伝えたかった言葉は一体どこにあるのだろう?それを模索しながら、俺は必死でキーを叩いていった。あと一言、もう一言・・・。

 そうして一体どのくらいの時間が経ったのか、まだ2時間も経過していないように思われたが、とにかく俺は激しい咳と悪寒、そしてどうしようもない全身の痛みに襲われ、キーを打つ手を止めざるを得なくなった。必死の思いで最後の一言を書き綴り、ファイルを自働アップロードする手順を整えてから俺はベッドに崩れるように倒れ込んだ。体がひどく熱かった。燃えるように、という言葉は決して大袈裟なものではなく、真っ赤に熱された錫杖を全身に突きつけられるような痛みと熱さに耐えかね、俺はベッドの上を転げ回った。息もできない程の激しい咳が立て続けに出て、そのうちに俺は少量ながらもナツエの時と同じようなどす黒くネトッとした重い血液を吐き出した。斑点はもう両手足の先までハッキリと広がっている。体が熱い。息もできない。意識が朦朧として、目は見開いているのだが自分でも何を見ているのかよく理解はできなかった。必死で息をしようとする度に胸の奥で何かが軋み、弾けて、肺や気管の奥に鋭い痛みが走った。俺は必死でベッドのパイプをつかみ、痛みを始めとするあらゆる感覚の苦痛と闘おうとした。しかし体を襲う熱と苦痛はその意識さもズタズタに分断していく。視界が回る。部屋の壁が溶けて崩れていくような錯覚に襲われた。あるいは溶けて崩れていっているのは俺の体の方なのかも知れない。意識がぼやけていく。ドロドロな世界の中で霞む視界、やかましいのか静かなのかすらわからない意味不明の音の世界。耳の奥でグオングオンと何かの音が回っているような気もした。遠く意識の奥の方で、微かに部屋の電話のベルが鳴っているような音を聞いた。あるいはそれも錯覚だったのかも知れない。景色が崩れていく。意識が薄れていく。自分がうめき声を上げているのかどうか、それすら俺にはわからなかった。意識が完全に無くなる最後の瞬間、俺は「あぁ、これで終わりか」とそう思った。この拷問にも等しい苦痛の中から解放してくれるなら、死すらとても安らかで優しさに満ちたものに思えた。遠のく意識の向こう側で、誰かが俺を呼ぶ声がぼんやりと聞こえた気がした。

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