2012年05月27日(日曜日)

東京交響楽団新潟定期『大地の歌』@りゅーとぴあ

 今日はりゅーとぴあで東京交響楽団新潟定期演奏会、プログラムはモーツァルトの交響曲第35番『ハフナー』とマーラー『大地の歌』。ユベール・スダーン指揮、ビルギット・レンメルトのメゾソプラノ、イシュトヴァン・コヴァーチハーズィのテノールでした。この演目を見た時から、新潟では『大地の歌』はなかなか聴けないし、行ってみたいなと思っていたコンサートです。元々クラシックの中でも歌曲が苦手な自分は、マーラーの中でもこの曲はあまり聴きこんでいる部類ではありません。ので、演奏を聴きにいくというよりは、この『大地の歌』のどこがいいのか、その魅力を教えて、スダーン&東響、くらいの気持ちで聴きに行きました。

 配られたパンフに『大地の歌』の歌詞と対訳が付いていたので、それを見ながら聴いてみました。するとなるほど、この詩に対してマーラーが抱いたイメージがどのようなものか、音を通じて明確に伝わってくる。やはり歌曲というものは詩のイメージをつかむことが大事です。音だけではなかなかわからない。 一応歌詞があれば聴きながら追う程度にはドイツ語の読みがわかることを今日ほど感謝したことはなかったです(笑)。ちゃんと追いながら歌詞を読んでいると、詩のある部分に対してマーラーがどのように感じたのか、それを指揮者がどう表現しようとしているのか、それがちゃんと伝わってくる。そこが「ああ、面白いな」と思いました。たまに「へぇ、ここは自分が読んでいる詩のイメージとは違うな」とか、そんな面白み。

 『告別』を詩を読みながら聴いていて、友と別れて故郷に死に場所を求めて帰って行った語り手は、最後には救われたのだろうか、そんなことが気になりました。音楽は暖かいとも寂しいとも取れる不思議な静けさの中で幕を閉じます。人生の刹那さ、若さ、美しさの儚さを繰り返し歌っていくこの『大地の歌』で、最後語り手はその刹那から救われたのでしょうか。永遠の大地と同化することで。

 スダーン&東響の演奏は、マーラー独特の毒気は薄いかもしれませんが、詩を読んで、追いかけながら聴いているとその世界がイメージが、鮮明に映像として浮かんでくる。その意味で曲と演奏が、指揮者とオケと歌手が、一体となって『大地の歌』の世界を描く、実にいい演奏だったと思います。 欲を言えばテノールにもう少し声量がほしかったですが、それでもこの曲の世界を十二分に堪能させてくれました。おかげでこれまであまり聴き込んでこなかった『大地の歌』も好きになれそうです。やっぱり生で聴いて初めてわかる音楽の機微というのはあるものだなと、改めて感じたコンサートでした。

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