2011年12月17日(土曜日)

クラギタ50回目の定演の報を聞き

 昨日出身校クラシックギター部の50回記念となる定演があり、そこで藤井敬吾先生の委嘱新作となる合奏曲『暁のファンファーレ』を演奏したとのこと。スネアやら叩き、グリッサンド、果てはバルトークピッチカートまであるという特殊技法が散りばめられた弾くのが楽しい曲ということで、きっと色々な意味でスリリングな曲だったんでしょう。 50回という節目でプロの作曲家による委嘱新作を自分達で演奏するという挑戦。その意義は大きく、後輩達の順調な発展と挑戦は、話に聞くだけでもやはり嬉しいものです。

 自分達の頃は、何はともあれまず"自分達で編曲をする"ということが挑戦でした。前年まではしばらくプロの先生にオーケストラ曲の編曲を依頼して、それを演奏するという文化が続いていたのですが、自分が2回生の時はそのいつもの先生が練習を開始する時期になってもなかなか編曲を上げてくれず、あまつさえ上がってきた譜面が「こんなんギターで弾けるか!」と叫びたくなるような非ギター的な譜面。当時の指揮者・パートリーダー達は随時そこを苦心して手直ししながら練習していきました。その不毛さに怒った私は、「来年は自分が編曲をやる!」と言い放ち、手探りで編曲を始めたものです。今思えば断片的な楽典知識はあったとはいえ、宣言した当時の状態からするとなかなか無謀に近いチャレンジです。それでもまぁ何とかノーテーションソフト『Encore』の力もあり、オーケストラの譜面を読む訓練もして、何とかブランデンブルグ協奏曲第3番(第1楽章)や威風堂々第1番等を編曲してきました。おかげでオーケストラの譜面を読んでアルト、バス等の合奏用ギターを含む合奏用の譜面に(多少の手心を加えた上で)コンバートするという特技が身につきました。

 余談が長くなりすぎましたが、当時の自分達はそこまでが挑戦でした。それは大きな挑戦ではあったけど、クラシックギター部が自立するための小さな一歩でもありました。当時師事していた尚永豊文先生に「来年は編曲を自分がやります」と話した時、ここ数年は外部に編曲を依頼していたことをお話しすると「甘えていましたね。自分達でやることはいいことです」と仰っていたのを思い出します。編曲も自分達でやることで、音楽に向き合うことができたのは、確かに厳しい側面もあったものの、実際いい経験でした。

 自分が卒業してから10年以上が経ち、その間自分の後のクラシック技術部長達には自分など及びもつかないような実力を持った人達も就いていきました。卒業後も何曲か合奏用に私が編曲をさせていただいたこともありますし、藤井眞吾先生に編曲をお願いしたこともあったようです。今でもクラギタのBOXに顔を出す同期に聞くと、自分らの頃とは大分雰囲気も変わったそうです。それでも、大学で公式に部として昇格して50周年となる節目の年に、フラメンコは記念イベント『¡F・F・F! Fiesta de Familia Flamenca』を開催し、Aアン大合奏では藤井敬吾先生の委嘱新作を自分達で演奏できる。それだけの大きな活力を持つ今の後輩たちを頼もしく思うし、嬉しく思います。今後も楽しみになります。自分達がいた頃とは空気や何やらは変わっても、自分達がそう感じたような、あるいはそれ以上のいい部であるのだなと、その活動を通じて感じることができました。

 現執行部の皆さん、部員の皆さん、50回の記念となる定演での大きな挑戦、お疲れさまでした。是非今後とも、頑張ってください。

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