2006年09月22日(金曜日)

作らなければ壊せないが

 チベット仏教の僧侶たちはしばしば砂マンダラを作ります。色の付いた砂を少しずつ落としていってマンダラを描いていくのですが、彼らは、作った後で壊すことがわかっていて作るのです。マンダラの儀礼では、完成したマンダラを壊すということが儀礼の中に組み込まれています。自分たちが作っているものが無に帰すことがあるということを知りつつも僧たちは作ります。

 それと同じように、自分の歩みが、必ず否定される時が来るのだということを含みながらする、それが哲学であり、神学なのです。では初めから何も作らなければよいではないか、と思われるかもしれません。そうではないのです。作らなければ壊せないのです。壊すために作るかというと、そうでもないのです。われわれが生きていくということは結局そのようなことではないでしょうか。

立川武蔵著『聖なるもの俗なるもの』講談社選書メチエより

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