2002年11月26日(火曜日)

2002年度定演裏批評

 さてさて、今回も(?)やってきました定演裏批評、ayum's technical noteの時間です。定演が終わってもまだまだ終わりじゃありません。3回生は来年もありますし、4回生とてこれでギター人生終わるわけじゃありません。せっかく一生懸命頑張った演奏会なのですから、ここらで一旦技術的なところを振り返ってみて次へのステップにしてみるのもまた悪くはないんじゃないでしょうか。

 まずは全体的に、一番気になったのが音が小さいということ。そりゃしっかり音出してる人もいますが、大半の人はまだまだアルティのステージで音を響かせるには足りない程度の音量しか出ていないのが実状でした。一番酷いのは指ばかり回って肝心の音が脆弱なこと。小さな音でゴチャゴチャやられても聴いてる方は何がなんだかわかりません。まずは客席にしっかり伝わるしっかりした音を出すのが先決です。また、出せる最大音量はイコール表現力にも直結してきます。ピアノにフォルテ、あるいはクレッシェンド・デクレッシェンドは最大音と最小音のダイナミクスの差がイコール表現の大きさになるわけですが、物理的に最小音は0よりも下にはいかない以上、どこまで最大音を出せるかが使える表現力の幅ということになるのです(といっても当然表現力は音量だけで決まりはしないのですが)。つまり、小さな音しか出せない人はそれだけ表現の幅も狭くなると。そして何より、音が小さいと聴いてる人の耳に届かないばかりか、心に届かないのです。ので、まずはしっかり大きな音で弾けるようにすること。これがまず演奏の大前提になってきます。タルレガで中間試験までは音色はいいからとにかく大きな音でというのもそのためで(ちなみにスケールや終止形なんかはそもそも音が小さいとサインは出せない)、最初に大きな音がだせるようになっておかないと後で直そうとしてもなかなか直らないから、最初はまず技術に先立つ演奏の大前提を身に付けてもらおうという魂胆なのです。その意味をもう一度考えてみましょう。それに絡んでなのですが、合奏の方も人数は多いのにその割に音量が出ていないので、特に『こうもり』のような非常に幅広いダイナミクスを要求される曲ではもう一つ音量差のメリハリが足りずパンチが弱かったというのもあります。パートリーダーソロとトュッティの間で音量があまり変わらん・・・。いかにしっかり音を出している人が少ないかというのが浮きぼりになっていますね。まぁ、つまり言いたいことは合奏でも一人一人しっかりと大きな音を出しましょうと。そういうことですね。普段の練習の意識から変えていかないと一旦ついた癖はなかなか直りませんので。まずはとりあえず、一番何よりも気になったところから語ってみました。

・・・また続く

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