2001年12月03日(月曜日)

古代ケルトの「時」

 古代ケルトの人々は、「時」に対して非常に敏感だったように思います。あるいはその「時」がもたらす変化に対して、あるいはもっと究極的には「生」と「死」に対して、彼らは正面から向き合い、感じ取り、畏れ、そして立ち向かっていたように思います。それはもしかしてただのあがきだったのかも知れませんし、真に霊的な何かに近付けていたのかも知れません。今の時代は、そんな感性が乏しくなってしまったのではないでしょうか。刹那的な一瞬の連続が時をつなぐような時代。先も出口も目的地も、何も見えないようにすら感じる瞬間があるような時代。僕らは「時」が真に「流れる」ということを感じられるのでしょうか。ふとそんなことを思ってみました。

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