2000年01月02日

何もない未来へ - 第三章

 ぼんやりと開かれた俺の目には、自分の部屋の天井が映っていた。辺りは奇妙な程に静かで、薄暗い闇が部屋全体をおおっていた。夕方頃かな、とぼやけた頭で俺は思った。生きてるのか・・・?音は何も聞こえない。俺の聴覚がやられてしまったのか、それとも本当に辺りが完全な静寂に包まれているのか。立ち上がろうにも体がいうことを聞いてくれなかったので、俺は視線だけを動かし部屋の中をグルッと見回した。意識を失う前と比べると、そこは凄惨なまでの荒れ様を呈していた。ベッドから少し離れたところに置いてあるテーブルの上の花瓶は倒れて割れて、中の水が辺りを濡らした形跡があったし、ベッドの上や、あるいは下に落ちてグシャグシャになった毛布やらシーツやらは至る所に大量の血がこびりついて、ゴワゴワに固く凍りついていた。俺の血だな、と思った。俺の意識と体はまだもう少しの休息を要求しているようだったが、俺はもう少しだけ周囲の状況を確認しておきたかった。時計に目をやると、針は5時前くらいのところを差している。明るさから判断して、やはり今は夕方なのだろう。微かにだが、部屋の中に血の匂いが充満しているのが感じ取れた。見ると、今着ているシャツは第3ボタンまでが完全に引き千切れてしまっていて、そのシャツと上半身は既に黒々と変色している血に染められてしまっていた。ところどころ見える地肌も、ボロボロに荒れた上に皮膚の裏から黒ずんだ血の色が透けて見え、ひどいありさまになっていた。やれやれだな。俺はそこまでの周囲の状況を確認すると、再び闇の底へと誘われていく自分の意識の行方に身をゆだね、再度の眠りに落ちていった。

 次に俺が目を覚ませた時、時刻は3時半になっていた。おそらく深夜のだろう。あたりは完全な闇に支配されていて、相変わらず恐ろしいくらいに静かだった。カーテンの閉められていない擦りガラスの窓から、ほんの少しだけ近くの街灯の灯が入り込んできている。俺はその僅かな灯をありがたく思った。もし今辺りにほんの少しの光もない真っ暗闇な状態だったら、俺は確実にここは死の世界なんだなと思ったことだろう。そして最後の気力すらもその思いに支配されて萎えきってしまって、深い恐怖と絶望の中に意識を落とし込んでいったに違いなかった。たとえそれがごく小さなものであるにしても、とりあえず頼りにできる光がそこにあるというのはかなり多分に俺の心を満たしてくれた。さて。俺は思う。俺はとりあえず立ち上がれるのかな?そして俺はベッドから体を起こそうと全身に力を入れてみた。体はまだフラフラで、自分の体重を支えるのも精一杯という感じではあったが、思ったよりは体力が回復しているようで、俺はとりあえずベッドのパイプを握って支えにしながらでもどうにか体を起こして立ち上がることができた。そしてテーブルやら家の壁やらを支えにしながらどうにか洗面所まで歩いていき、電気をつけて中に入った。そして鏡に映る自分の姿を確認する。ひどい顔だった。頬がげっそりとやつれて目の下は窪み、全体に黒ずんだ斑点の跡が残って肌が荒れていた。斑点の色は発病当初のそれより多少薄くなってはいるようだったが、それでもそれは俺の顔におぞましい死の色を刻み込んでくれていた。口の周りにところどころ乾いた血液のシミがこびりついている。しかし皮膚からの直接の出血はないようだった。口の中も凄まじく血なまぐさい匂いがして気持ち悪かったので、俺はコップに水を入れてまず口を何度も濯いだ。それから顔を洗顔フォームも何もつけずに水だけで洗い、かけておいたハンドタオルで拭いてやった。それだけで大分顔の印象はマシになった気がした。相変わらず薄黒い斑点は残ってはいるが、とりあえずへばりついた血痕は落とすことができた。そして俺は部屋の中に戻っていき、テーブルの脇に置いてある紙袋を開いた。中には数週間程前に過労からくる自律神経失調症で倒れた時に買っておいた、病院でも使われるような経腸栄養剤が入っている。こういうものも持っておけば意外に役立つこともあるなと思いながら、俺はまだ微妙に震える手で栄養剤のプルタブを開けた。今はとにかくしっかりと栄養を補給しておく必要がある。俺はとりあえず一口二口飲んでみてそのまま15分程待ってみたが、当面のところ吐き気が襲ってくるような様子もない。どうやら胃腸は比較的まともに機能してくれているようだ。そう判断して俺は残りの栄養剤を一気に胃の中に流し込んだ。コイツは確かにこういう時は役には立つが、いかんせん味の方が凄まじいものがあるのでできれば味わってなど飲みたくないものだ。そして俺はそのまま横になる。そしてそのままじっと目を閉じながらぼんやりと考え事をしているうちに眠りについた。

 次に俺が目を覚ました時、時計の針は10時過ぎ位のところを指していた。朝だな、と俺は思う。体の方は昨晩よりはずっとマシに動いてくれそうだった。俺は立ち上がってコップに水を汲んで飲み、また栄養剤を一本手に取ってからテレビのスイッチを入れた。が、俺の目に入ってくる映像は放送終了後のテレビによくある砂嵐とよく形容されるようなノイズだけだった。おかしいな、と俺は思う。今は朝の10時だ。このチャンネルは俺がこの感染症についてのニュースを見た時のチャンネルから変わってないはずだし、今の時間帯で何も番組がやってないなんて事もないだろうに。そう思いながら俺は一つずつチャンネルを切り替えていった。しかし、どのチャンネルに変えてみても結果は同じだった。ただ延々と白黒のノイズだけがブラウン管には映っていった。一つだけ、やはり放送終了後に延々と流されるようにどこかの街角の映像をひたすら流し続けている局があったが、まともに番組をやっているところは一つもなかった。一体どうなっているんだ?俺はとりあえず手に持った栄養剤を一気飲みし、焦燥感に駆られてMacintoshの電源を入れた。インターネットは?俺はすがるような思いでPPP接続のボタンを押し、接続ができるかどうかを待った。モデムがISPの番号をダイヤルする音、続いて聞こえるガーッ、とかキーン、とかいう類のノイズ音。全てはいつも通りだった。電話はつながり、いつものようにログイン情報のやり取りがなされてインターネットへの接続は確立された。よかった。何はともあれネットの世界はまだ生きているようだ。これでとりあえずの情報収集はできるだろう。今日本はどうなってしまっているのか、その事態だけは把握しておきたかった。ブラウザを立ち上げ、新聞社のオンラインニュースのページへ飛ぶ。しかし、そこも12月27日夜11時の日付けを最後に更新された形跡が見当たらなかった。そしてこの時気付いたのだが、日付けは既に29日になっていた。俺が日記の最後の更新をしたのは25日。実に4日間俺は意識を失っていたことになる。よく生きていたものだ。とりあえず俺はその27日付けの感染症関連のニュースに目を通してみたが、そこには特に有益な情報というものは存在していなかった。とりあえず24日の夕方に最初の感染者が霞ヶ関と梅田で発見されてから、27日夕方の時点で感染者は7500万人を越え、相変わらず予防法も治療法も見つからずに致死率100%、というような事実報告のみがなされていた。この病気は日本劇症出血熱と名付けられたらしい。実に安易なネーミングではあるが、実際問題名前などどうでもよかったのだろう。ニュースはWHOが26日未明に日本を封鎖し、他の国との出入りを完全に断ち切ったと伝えていた。しかし時既に遅く、日本時間の26日午前中にアメリカや欧州諸国でも感染者が発見され、日本劇症出血熱は世界各地に広まりを見せつつあるようだった。そして、俺がそのニュースサイトで得られた情報はそこまでだった。他の国内のニュースサイトも全滅状態で、他に得られる情報もなさそうだったので俺は国外のニュースサイトへ飛んでみることにした。世界的にこの病気が広まりつつあるとは言え、外国の方ではまだ状況はマシであるかも知れない。少なくとも第一感染者の発見が日本より遅い分はマシであるだろう。そう願いながらアメリカのニュースサイトへ飛んでみた。案の定、こっちではまだリアルタイムに情報の更新がされているようだった。英語を読むのが多少ホネではあるが、この際贅沢も言ってられない。俺は無我夢中にそのニュースサイト内の感染症関連の記事を読み漁った。そのニュースによると、世界各地でこの感染症にかかった人々の数は既に3億人を超え、相変わらず適切な予防法や治療法も見つからないらしい。日本は既に世界から見捨てられてような形となっていて、医療団体すら一部のボランティア医療団が来日しているだけだった。日本での疾患者数はもはや実体把握不能なまでに膨れ上がっていて、人口の90%以上は既に死滅したものと予測されていた。日本は実質上もはや滅んでしまっていたのだ。そしてこのままでは遅かれ早かれ世界もこのウィルスによって滅ぼされてしまうだろう。世界は今終末の時を迎えているように思われた。このウィルス騒ぎに乗じて、世界各地で様々な宗教団体やら政治思想集団やらの活動が一気に活発化しているようで、場所によってはかなり大規模なテロも起こっていた。僅か一週間にも満たない時間の間に、世界は猛烈なスピードで退廃の道を辿っていた。
国外のどのニュースサイトを見て回っても、もはやそれ以上の情報は出てこなかった。ひたすら滅亡へと向かって進む世界。何がここまで世界を導いたのだろうか。たった一つのDNAの塊のために、今人類が滅びようとしているのだ。読めば読む程に希望というものがどんどん薄れていく。俺はもうニュースを読むのを止めようかと思った。とりあえず、今生き残ったとしてもこの世界に先はなさそうに思われたからだ。そしてもうPPPを閉じようと思ったその時、丁度ついさっき更新されたばかりのニュースが俺の目にとまった。

「日本劇症出血熱-その生存の可能性-」

 その記事のタイトルはそのようなものだった。見ると、原因はわからないがこの病気では0.001%にも満たない確率ではあるが細胞の壊死の症状が比較的軽度で済んで内蔵の破壊までは至らないケースがあり、その場合発病から一旦症状は劇化するものの、体力さえもてば大体数日で回復できる場合もあるという。現在何故症状が軽度に抑えられる場合があるのかその原因を探っており、そのメカニズムさえ解明できればこの感染症に対する有効な治療法も見つけられるかもしれないということだった。0.001%にも満たない僅かな確率・・・。どうやら俺はその僅かな幸運に恵まれたようだ。幸か不幸か知らないが、神様はこのどうしようもない世界の終末期に、とりあえず俺の命はいくらかの間かだけ預けてくれたようだ。しかし一体もはや壊滅してしまったこの国で、俺一人だけ取り残されたところで何をどうすればいいのだろう?俺は途方に暮れながら一旦インターネットの接続を切った。0.001%にも満たない確率・・・。俺の他にこの辺りでは誰か生き残っているのだろうか?そう思いながらディスプレイから目を離すと、視界の左の方でチカチカと赤いランプが点灯しているのが目に入った。留守番電話にメッセージが入っている信号である。少なくとも俺が感染症にやられて意識を失う前までは留守電にはメッセージは入っていなかったはずだった。誰だろう?俺の他に生き残ったヤツがいるのだろうか?俺はそう思いながら留守電のメッセージを再生した。シャーッとテープの巻き戻しが行われた後、いつものように電子音の応答が再生される。俺は儚い期待のようなものを込めて、じっとそのメッセージが再生されるのを待った。

「めっせーじガ、1ケンアリマス。12ガツ25ニチ11ジ47フンノめっせーじデス。」

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