1998年09月16日

秋に想う

 気がつくともう夏はその残り香が漂うだけとなり、吹き抜ける風には秋の匂いが感じられる季節になっていた。紅葉と言うにはまだ少し早いけれど、鮮烈だった緑がそろそろくすみ始めた樹木の色にも、迫る本格的な秋の訪れは見て取ることができた。こうなると自然の変わり身は早く、毎年ここからあっという間にはちきれんばかりの生命に溢れた夏の威容は衰えていく。そして気付けば後にはその残骸のように寂しげな秋がたたずんでいるのだ。秋の持つ色はどこかからっとした寂しさとはかなさに満ちていて、見ているこっちの心までその色で包んで染めてしまう。その決して湿っぽ過ぎるところのない哀愁がときにとても心地よくて、染められるがままに秋の世界に浸っていくこともしばしばある。静かに呼び起こされる感傷の中に。


 どうして秋は自分にそういった哀愁や感傷の念を抱かせるのだろう。僕はふとそう思った。そして思い当たるだけ自分の心の中を探ってみた。秋の色が、匂いが、他の季節に比べると過剰なまでに僕の心を染めあげてしまう理由を探して。そうしてその理由が漠然とつかめてきた時に、僕は納得がいくと同時に愕然ともなった。それは僕が今、いまだに縛られているものを如実に表していたからだ。


autum.jpg 景色はときに自らの心の風景を写し出す。生命の息吹に溢れ、あらゆる命のエネルギーが頂点に達する夏。そこから老いて枯れ果てていくように移り始まっていく秋は、僕の心には自分の過去と同化して写されていた。すべてが楽しく、うまくいっていたように思える絶頂期の過去の美化された幻想が夏に写し込まれ、それが崩れ始めたのに気付いた当時の心象が秋に投影されている・・・。そのすべてがうまくいっていた過去に戻りたいという今も続く微かな想いが、よりいっそう僕と秋とを同調させていたのだ。まだ楽しかった頃に手をのばせば届きそうな、そんな位置にある秋だから・・・。


 自分はまだ過去の亡霊に取り付かれている。僕を愕然とさせたのはその事実だった。自分なりに精一杯今を生きようとし、見つめようとし、楽しもうとしていても、心の何処かでそれが振り切れない過去と比較され、やりきれないでいる。その現実に自分が情けなくもなった。どんなに昔が楽しくても、それはもう過ぎ去ったこと、戻れない場所。そんなことは頭ではわかっているはずなのに、押し込められた意識の底は、まだその不条理を切望している。僕はそんな自分にとうとう自己嫌悪すら覚え始めた。


 過去は確かに大切だと思う。それがあるから今の僕があるのであり、僕は今僕が抱えている過去に誇りを持ってさえいる。けれども、それに縛られていても仕方がないとも思う。過去はいずれ経験となり、僕らの生きる一つの道標になってくれるべきもの。過去が過去として残っているうちは本当の意味で今を見つめて前に進むことなんてできないだろう。僕は人生を後ろ向きに歩くなんて器用なことはできやしない人間だから。それもわかってはいるはずなのに・・・。


 秋の色に潜り込んで、そこに完全に同調して浸っているうちはまだ足枷が僕の心にはめられている。それは過去の亡霊。いつかそこから解放された時、僕の目に秋の色はどう写るのだろうか。ゆれながら落ちる木の葉の色は、僕に何を想わせるのだろうか・・・。

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